地震から1週間の出来事◆その1

3月11日午後2時46分

私がいた場所は会社の職場の2階にいました。
揺れてると思ったので、
パートさんや専務たちが窓を開け始めた。
揺れは続き、一人でいると危ないと思ったので、
窓を開けながらも一人でいないように、
他の社員の人と一緒のフロアへ移動した。

しばらくすればおさまるだろうと思ってたけど、
それでも揺れが止まらない。

危ないと思った私は近くにあった机の下に隠れた。

もしかしたら、天井が落ちてくるかもしれない。
近くの備品も倒れてくるかもしれない。
会社だからコンピュータや書類棚などの
高い備品もあるわけで。

ただでさえ地震に敏感で、
怖がりな私なものだから、


「危ないから、隠れて!!!」

と言ってるのに、
普通に電話している社員たち。

社長の

「ここは大丈夫だから」

という声もちっとも説得力がない。

その時パートさんのひとりは

「この花瓶、危ないから下ろしておきますね」

と、キャビネットの上に飾ってあった
大きな花瓶を床に下ろし、
揺れながらその花瓶を抱えている。

その後に会社の電話がつながらなくなった。
急いで携帯電話がつながるか確認するも不通状態。

その間にテレビを付けて震度を確認すると、

宮城県仙台市・・・震度7

震度7って・・・阪神・淡路大震災と同じじゃない???

と思った時、
すぐに仙台営業所がどうなっていたか、
電話をするもやはり不通。
IPフォンもダメ。
どういうわけかインターネットはつながる。

私は仙台営業所のパートさんの安否が心配になり、
携帯メールで連絡が欲しいと送った。

大きな地震が静まってくると、
専務から

「子供さんも心配だろうから、もうあがって」

と言われるが、
学校の震災時のシステムだと、
緊急連絡網がくるんだけど、
ちっとも来ない。

地震が静まって会社を出るまでに、
3、40分かかったけど、
急いで自転車を飛ばし、
一旦、家に戻り、
それなりに避難用の準備をしてから学校へ向かうと、
既に引取りが始まっていた。

校庭で子供の引取りをしていると
消防団のおじさんが言うので校庭へ向かう。

子供の姿が見えないと、
息子の先生が声を掛けてくれた。

どうやら、ある程度の引き取りが終わったので、
残りは体育館で子供たちを待機させようとしていた。

その時にわざわざ先生が娘の担任の先生を呼んでくれて、
バタバタの中での引き取り確認。

息子は学童へ行ってるので、
そっちへ向かい、引き取りに行った。

家に戻ってきてテレビをつけてみると、
仙台がめちゃくちゃになろうとしているのを、
余震のある中で見た。

津波が押し寄せてくる映像ばかり。
そんなのが見たいんじゃない。
どれだけの被害と安否情報。
こういうときに限って、
テレビって大事な情報を流してくれない。

パートさんの安否も気になる。
仙台にいる会社のドライバーさんの安否も気になる。
明け方まで眠れずにいた。

私に出来る事も考えた。
こういうのはすぐ行動しようとダメ元でやってみようと思い、
ツイッターで訴えてみる事にした。
そして、会社の従業員の安否を
会社の部長と連絡して情報を得ようと思って、
夜中だけど、メールしてみた。

夜が開け、朝になると、
部長から早速メールが届き、
夕方から仙台へ向かうとの事。

私のプチ情報でも聞き入れてもらえると思い、
持って行ったほうがいいもの、
災害用の備品等のアドバイスをしておいた。

ちょうど、息子が風邪をひいていたので、
病院へ行った後、
その足で荷物を持って実家へ。
うちの親は最高にのん気だったが、
私を安心させてくれる人の一人だから、
それもいいかな~と思った。

一応、以前に友達からのアドバイスで、
災害時に何が必要なのか聞いていたし、
防災グッズも買っておいたおかげか、
不思議と役立つものが家にいっぱいあったので、
余震があって揺れて嫌だったけど、
落ち着くまでの間は何とかなりそうでした。

その間も部長から朝、夜とメールをもらっていました。
で、仙台のパートさんも無事。
(後日メールも頂きました。)
津波にあったすぐ近くの取引先の工場はめちゃくちゃ、
うちの会社が借り出してるバスも別の場所まで流され、
従業員の方も避難生活を送っているため、
工場を動かすことも出来ないらしく。

とりあえずはうちの会社の従業員の安否は、
全員無事と言うことでした。

14日以降は仙台一帯は断水。
せっかく持って行ったインスタント食品などの食料も、
水がないと使えない状態。
営業所の方は電気は使えたらしいけど、
電話がなかなか通じなかったそう。
(確かにメールだけはちゃんと使えてました。)

15日になると、
私は朝から具合が悪く、
mixi日記にも自分が具合悪いと書いていた。
そして、とても嫌な予感がした。

その日の夜、22時31分。
静岡で震度6強の地震・・・。
寝る準備をして着替えた後、
子供たちに話をしていたら、
また揺れ出したので、
今日は大丈夫だろうと
雨戸を締めていたのを思い出し、
一気に窓と雨戸を開けた。

いつまで余震が続くかは分からないけど、
まだ安心が出来ないと思った。

すると、福島原発が大変な事になっているからと、
そのための計画停電、余震、それから被災地への燃料等々・・・。
震災のためにたくさん振り回された1週間でした。

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